パルマの6つの自慢
紀元前2世紀、ローマ帝国の植民地としてパルマ川右岸に建設された。中世には他の都市同様、教皇党グェルフィと皇帝党ギベリンの対立があったが13世紀には動乱も治まり、自由都市としての制度が整った。16世紀、ローマ教皇領時代、教皇パウルス3世が息子に領地として与えたことでパルマ公国が誕生した。19世紀、1860年の統一前、ナポレオンの妃マリ・ルイーズの支配を受けた。寛容な統治を引き継いだ彼女を、パルマ市民は愛着を込めて、パルマ公「われらがマリ・ルイーズ」と呼んでいた。「愛される皇妃」のパネルを窓に飾るところも・・・
ヴェルディ生誕100周年記念碑 1913年建立 ブロンズ製 平和公園にあります。大作曲家ヴェルディはパルマ県のレ・ロンコーレ村に1813年に誕生しました。パルマ公マリー・テレーズの学業支援もあって作曲家として早くも1839年、初のオペラ『オベルト』をミラノスカラ座で発表したのです。パルマにはオペラファンが多いというのもうなずけますね。
平和公園にあるブロンズの記念碑には1859年9月15日と彫ってあります。パルマの歴史上、忘れてはならない日、パルマ公国の歴史が終わった日です。パルマ公ロベルト2世が退位を宣言、翌1860年、住民投票でイタリア王国編入が決まりました。パルマの新しい時代の幕開けです。
パルミニジャーノ1503-1540はパルマ出身の画家として若くして亡くなりましたがラファエロの影響を受け独自の画風を生み出しました。教会の内装に主な作品を残しており、主な活動場所はローマでした。「トルコの女奴隷」という代表作はここパルマの国立美術館にあって、パンフの表紙などにも利用されています。特産チーズの名前と間違えそうですね。